2008年8月25日月曜日

29年前の「きすけ節」

 1979年に三次市で発行された「月刊・備後人」第2号の「人を訪ねて」のページで
私は家族(妻と子ども3人)や取材の風景などの写真入りで紹介されました。
 その最後に、仕事仲間だった中国新聞三次支局の桑田信介記者の次のような
原稿が掲載されています。
  
 山本さんはことしの正月、ヘリで雪の県北を飛び、現地の表情と地域の抱える
 課題を「ニュース6」で番組レポした。
  画面が中国山地のある過疎集落に移ったとき「今、ここに幸せの種があれば、
 この上空からまきたい」とあの独特の口調で語った。
  後日、私は冷やかし半分にそのことを尋ねた。「うん、キザに聞こえたかも知れんが
 あの時は自然と口をついて出たんよ」と、照れながら答えてくれた。
  三次赴任以来5年間、エネルギッシュに中国山地を駈けずり回り、常に地域に根付いた
 取材活動を続けている山本さんにとって、あの言葉は自然な心境の発露だったに違いない

  そのころRCC三次通信部は、事務所兼社宅の「社員一人勤務」。家族ぐるみで、地域の
 方々に支えられて働きました。当時10歳だった長男は、まもなく39歳。このほど子ども
 (私の孫)二人を連れて帰郷したのを機会に、このブログを開設してくれました。
  そのブログの「門札」どうしようか、トッサに「きすけ節」が浮かびました。
 人生の働き盛りの9年間を過ごした県北地方、そこで学んだことは私にとって大切な
 宝物です。
  本社のデスクも、ネタ切れになると「なにかきすけ節はないかな」と、電話してくれていました。
 かなり個性的というか、ヤンチャなニュースコメントやレポートも、寛大に放送してもらいました。
  照れくさくても、大切な私の道連れ「きすけ節」です。
 毎日毎日の発信は自信がありませんが、頑張ってみます。特別アクセスの数を競うつもりは
 ありません。「数値目標」「実績評価」、そんないまの社会の空気、とても「勝ち組」にはなれないし
 なろうとも思いません。ごくごく小人数の読者でも、心が触れ合えれば幸せです。よろしく。
 
 
  

 





広島ブログ

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...
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Unknown さんのコメント...

こんにちは、三次のkiriojiことenokiです。

新着ブログ発見し、きすけ節ですぐわかりました。

私も霧の海通信を始めて365日がんばってみました。すでに1年と8ヶ月が過ぎようとしています。

 ブログランキングに参加すればなかなかサボれません。読んでくれる人がいると思えばやめられないのがジャーナリスト精神と似ています。

 期待してます。霧の海のブログも読んでみてください。よろしくお願いします。